子供の頃は、親の愛なんてよく考えもせずに過ごしていました。ただ家族として一緒にいて、守られているのが当たり前のように感じていた日々。
その小さな積み重ねの中に、どれだけの喜怒哀楽が詰まっていたのでしょうか。今となればここまで無事に育て上げてくれたことが、何にも代えられないほどに感謝の気持ちでいっぱい。
そんな親の心に気付くきっかけとなった言葉。それを誰かにつなぐために残しておきたいと思います。
それは顔も知らない取引先の方からのお祝いメッセージ
産休に入るまで働いていた職場で、いつも電話でやりとりをしていた取引先の営業の男性からいただいたお祝いのメールにあったお話し。
親になるために己の子供心をしまいこむが
しまったはずの引き出しを
ふとした瞬間に子供があけるときがある
その時、懐かしさがあふれ、
人は己の親の気持ちを初めて知る
そのメールの前後は良くあるお祝いの言葉が並んでいて、ご自身もまだまだ手のかかる子育て中のお父さんであるとも教えてくれました。
その時は、お祝いのメッセージをいただいたことに対して素直に「ありがたいなあ」という気持ちと、まだ親になり切れていない状態なので「ふうん、そういうものなんだな」という気持ちで読んでいました。
いざ親になって、寝てもさめても育児育児の日々に突入。しばらくはメールのこともすっかり忘れていました。
初めて言葉の意味を理解して涙があふれた日
数か月してようやくほんの少し余裕が出てきた頃に、ふとこのメールを思い出しました。そして急に言葉の意味が理解できたのです。
育児に疲れた時でも、子供はいつでも純粋な心でまっすぐに親と向き合い、力いっぱいの泣き顔、笑顔を見せてくれる、そしてその元気な声を聞かせてくれる。
日に日に成長しているその姿を眺めていると、
なんてふと思うと同時に、断片的に記憶の奥に残る懐かしい場面ひとつひとつがよみがえりました。そしてその時の親の愛情に初めて気付き、涙があふれたのです。
もちろん、それまでもここまで無事に育て上げてくれた事に感謝はしていたけれど、それは漠然とした感謝であって、細やかな親の愛に守られていたことに意識を向けていませんでした。
今改めて、無償の愛で育て上げてくれた親と、無償の愛に気付かせてくれたわが子に同じように感謝をしています。人はたくさんの愛情と優しさに支えられて、強く優しくなれるはず。
そう思っていても現実はうまくいかないこともたくさん、後悔だって驚くほどにたくさんありますしね。
完璧な親なんてごくわずかしかいないと思うし、私の親もきっと後悔や失敗を繰り返しながら親になったのだと思います。愛の形も様々、何が正解かもわかりません。
それでも、いつかどこかで誰かが送ってくれた言葉の温かさ、優しさに触れて心が強くなれること、それがをまた誰かに広がって行ったらうれしいなと思っています。
今回は「親になって初めて自分の親の心を知った」きっかけのお話しでした。これを読んでくれた方が、同じように親の心に思いを馳せたり、何か温かな気持ちが生まれたらいいなあと願っています。
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