最近やけに「死」について口にする息子。ニュースなどで日々耳にする人の死について、敏感で繊細な気質の息子は自分なりに色々考え、心配や不安が大きくなってきたようです。
今回は、息子が5歳の時に初めて身内の「死」を経験してから現在に至るまでのお話しです。
じいじとのお別れ
5歳の誕生日を目前に控えた秋、父方の祖父が亡くなりました。
※あまりこういった事を記事にするのは気が引けるのですが、現在の息子の死生観を表す大きなポイントとなるので、あえて文章に残すことにしました。
亡くなる日の午前中に、病院で眠るじいじに会いに行くと、息子はその物々しい空気に圧倒されていたものの、まだ温かい手に軽くタッチして様子をうかがっていました。その後、じいじは家族みんなが見守るベッドの中で眠ったまま静かに亡くなりました。
この時点で息子は「人が亡くなること=死」については当然まだわからなくて、ただ周りのみんなが涙を流したり、いつもと違う様子なのを感じながら静かに私の横で手をつなぎ見守っているだけでした。
人が亡くなることを理解する
5歳の息子にはこう伝えました。
- じいじは亡くなったんだよ
- これからはご先祖様と同じお墓に入るんだよ
- だからみんなでお別れ会をするの
- でもね、いつかみんなも同じように死ぬんだよ
- そうしたらまたじいじに会えるかな
- お墓に入るためには火葬しないといけないの
- きれいな骨にして骨壺に入れてあげてお墓にお引越しだよ
神妙な顔で聞いていましたね。そして当日を迎えます。
お通夜の席では、親戚が勢ぞろいするのでかなりご機嫌ではしゃいでいました。こうした子供の無邪気さはありがたいね、とみんな言ってくれて、私自身もそう思っていました。
式が始まりお経が流れる間も、一番前の席で騒がないにしても、数珠をじゃりじゃりいじったり、変顔したりふざけたり。あまりにふざけているので、私が「じいじのお別れ会は一度しかないんだよ」と一言ささやくと、ふざけるのをやめて静かに座りなおした息子。
その数秒後、顔をくしゃくしゃにして肩を震わせながら泣き出しました。その泣き顔は、今注意をされたことで泣いている顔ではありません。
ずっとずっと淋しくて不安だった気持ちを、ふざけてはしゃぐことで隠していたのですね。それが一気にあふれ出たようです。そっと廊下に出ると、わんわん声を上げて抱きついて泣いていました。
その後の様子
その後は落ち着いて席に戻り、お通夜が終わると、じいじの顔を見に何度も棺の蓋を開けて笑顔で「じいじ、またね」と話しかけていた息子。
翌日の告別式も、何度も気持ちが高ぶり肩を震わせて泣いていました。ただ、一連の流れを頭に入れていた息子は、しっかりお骨も拾って「じいじ、またね」と壺に収めることが出来ました。
涙を流し続けたのはお通夜と告別式のみ。
その後の法事では「うん、じいじ今あそこにいるね」と本堂の奥を見てニッコリ笑ったり、お墓参りでは「やっほーじいじ!こんにちはー!!」と元気に話しかけています。お盆でも「ご先祖様!ここでーす!」と空に向かって呼び掛けたりして、それはもう楽しそう(笑)
更に、亡くなった後のじいじについても
- じいじは天国に行ったの?
- 今頃ご先祖様とおいしいもの食べてるかな?
- お盆は7月も8月も呼んじゃうよー!
と、よく話しをしてくれます。かなり前向きにとらえていますね。
死ぬということ
天国もあれば地獄もある。息子はその境界線が気になって仕方ない様子。
以前私が「天国がもしあれば、人はみんな天国へ行けるはず。でも生きてる間にわざと悪いことをしたり、人を傷つけたり、自分を傷つけたりしたら、天国に行く途中で地獄に落ちることもあるのかもね」と話していたのを覚えていて、
- ねえ、地獄はどんな人が行くの?
- ちょっとの嘘つきだったら地獄行かない?
- 天国へ行けばじいじやご先祖様がいるんだよね?
と事あるごとに聞いてきます。
そして「いつか死ぬときはさ、家でお布団に入ってみんなに、おやすみー!と言って眠ったまま死ぬのが一番幸せかもね!」と話していたら、
- じいじは病院だったけど、みんながいる前でお布団に入って眠ったまま亡くなったから幸せだったかな?天国へ行けたよね?
- いいなあ、(自分も)絶対そうやって死にたいな
と話しています。最近は、
- ねえ、人はいつ死んじゃうの?
- (自分が)高校生くらいの時はパパとママは何歳?まだ生きてるよね?
と親の死についても恐々と考えるようになってきました。そして先日ついに、
- もしパパとママが死んじゃったら、その後どうやって生きたらいいの?
- ママ、事故にもあわないでね、学童のお迎えもいつも急いで来てくれるから心配…
と。不意を突かれた質問で一瞬こちらが固まりましたね。
相当不安で、色々考えて悩んでいます。まさか、こんなに考えているとは正直びっくりすると同時に、敏感で繊細な気質の息子らしい一面だなとも感じました。
単に「大丈夫だよー!」だけでは、きっと心の奥底では安心出来ない息子の性質です。
「そうだね、人はみんな何があるかわからない。でも、だからこそ毎日色々なことに気を付けて、元気に楽しく過ごさないとね!ちゃんとがんばるから、心配しなくて大丈夫だよ!」
というと、ニッコリ笑顔に。その健気さにちょっと涙腺が緩みそうでした(苦笑)
そして生きること
日々沢山のニュースを耳にして、
- どうして人はうまれたんだろうねえ
- 人は死んじゃったらどうなるんだろうねえ
と、神妙な顔で考えています。
自分や大切な人、物に危害を加える人間が現れたら…と自分で話すだけで、怒りを露わにしたりしています。
普段は元気いっぱいで、くだらないことを心から楽しんだり、やるべきことを面倒くさがって後回しにしたりする普通の7歳児ですが、心の中では漠然とした不安や葛藤もあるのでしょう。
でもこれが成長なのですよね。
いい大人の私だって、常に色々な心配や不安は心の片隅にあります。理解しがたい物事も山ほどあります。面倒くさくてため込んでいることもそれはもうたくさん(笑)人として生まれて来て、何をするんだろうって考えることもありますし、いまだに良く解りません。でも、それだって良いのかなと。
親が教えなくても、子供は色々なことを学び続けています。親が子供に勝っているのは生きている年数だけかもしれません。
むずかしい顔をして悩んでいても、悲しくて涙を流していても、親が笑顔で向き合うと、すぐに目元口元がニッコリ笑う、目の前に楽しいことを発見すると、一瞬で目を輝かせて飛びつく。
うんうん、これこそ生きていますよねー(笑)こうやって今日からも、親子共に生きて行こうと思います。
以上、7歳児の死生観についてのお話しでした。
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