食物連鎖・生態系のピラミッド
息子の好きな科学の本に、森の生き物たちの生態系について書かれています。
- 太陽の光を浴びて植物の葉が茂る
- その葉を食べて虫が育つ
- 鳥や動物がその虫を食べる
- さらに大きくて強い動物がそれを食べる
- やがて死んだ動物や枯れた植物、ふんは土の中の小さな生き物に分解されて土にかえる
- 土にはたくさんの養分が含まれて、根から吸収され植物が育つ
この流れを見て以前は「虫さん食べられちゃった…」と少し悲しそうにしていた息子。それでも最近は図書室で「シートン動物記」シリーズを借りてきて読んでみたり「自然界の命は無駄になっていない」ことを少しずつ理解し始めた様子が見られます。
そんな生態系のピラミッドに人間はどう関わっているのか。人間は頂点にいるのか、ピラミッドから外れた存在なのか。
自分が人間であり、他の生き物の命を食べているにもかかわらず、生態系に組み込まれていないような感覚をぼんやりと感じている様子。
弱肉強食とは?
「弱い者の犠牲の上に強いものが栄える」こと。
食物連鎖にも組み込まれているけれど、この「弱肉強食」という言葉はそれだけを指しているわけではないですよね。
もちろん、私はこの言葉を聞くと「ライオンが獲物を捕食する」場面が一番に浮かぶのですが、それはほんの一部分。ライオンが日々悠々と暮らしているとは思っていません。
ライオンは「百獣の王」とはいえ、過酷な狩りや厳しい生存競争の中、ギリギリで生きている現実。それを踏まえても、やはり人間は、食物連鎖のピラミッドはもちろん、弱肉強食にも当てはまることなく繁栄している。
人間って一体何ものなのでしょうね。
話しは変わって食べ物について
唐突にタイトルから逸れた話になりますが…。
私は唐揚げや焼肉、お寿司も食べるし、ステーキだっておいしく食べる。
そのおいしい素材がどうやって来るのか。大まかな流れは理解しているし、感謝の念を持ってありがたく頂くべきことだと思っています。
それでも、やはり現実はそこから目をそらして通りたいのが本音であり、それならばいっそ菜食主義になればいいと思うけれど、またそうもなれず。本当に矛盾しているし、勝手だなって思います。
そして、息子も唐揚げやハンバーグが大好き。それが、豚肉や牛肉や鶏肉だってこともわかっている。生きている命をいただいていることは理解しています。
でも、実際にこの牛肉を手に入れるには、どうやって牛の命をいただくのか。生産者の方々が、愛情をもって大切に育てた牛を市場に出す細かい流れを目にしたら、心が大きく揺さぶられて卒倒するのではないかと、内心ずっと心配しているんです。
知っておきべきこと、でもそのタイミングがむずかしい。
マイクラでサバイバル
さらに話は逸れますが、息子のお気に入り「マインクラフト」。通常はゲームモードを「クリエイティブ」にしているので、すべての資源資材が無限大にある状態。そこで建築に意欲を燃やしています。
でもたまに「サバイバルモード」に変更して、動物の狩りに情熱を注ぐことがあるんです。逃げ回るニワトリやブタ、牛を倒して、肉や皮を手に入れる。
そして「自動焼き鳥機」や「自動焼き豚機」なるものも作っています。これは生きたニワトリやらブタを溶岩の装置に閉じ込めて焼き鳥、焼き豚にする装置。
私的にはゲームの中でも「逃げ回る動物を狩る」「生きたニワトリを閉じ込めて焼き鳥にする」というのは心が重いのですが、息子は結構平然としてるんですよね。「トリさん、まだ焼けないね」とか言いながら。
もちろんゲームだし、ビジュアル的にもニワトリが装置から溶岩にポンと消えて下のチェストに「焼き鳥」という名前で入っている、というだけなんです。だからリアル感はない。
でも、一応動物の命をいただいている、ということは理解しているんだと思う。現に、食べる予定ではない馬やらラマを間違って倒してしまった時、取り返しのつかないことをしてしまった!というような顔でものすごく悲しんでいました(笑)その後、またラマが復活?してきてくれた時は、心の底から喜んでいましたし。
食材として見たときは狩る、倒す。それ以外の時は、餌をあげたり仲良くしている。ゲームの世界でも、そんなことを学びながら過ごしている息子。
これからも様々な場面で学んでいく機会があるでしょう。そのたびに、少しづつ自分なりの考えをまとめて、教えてくれたらいいなと思います。
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