部活動の今と昔、そして思い出

息子の部活が本格的にスタートした今、自分の中学時代の部活を思い起こしてみました。小中高と女子バスケ部だったけれど、中でも公立中学校のバスケ部時代が一番きつかった!

中学生かあ…もう遠い昔の話しですね(笑)

部活動の種類

これは今も昔も変わらず。ただ当時は男子だと野球部やサッカー部が人気で、テニス部の男子は「比較的大人しそうな真面目な子」が多かった印象。

しかし現在。息子の中学校では野球部やサッカー部は少人数で、男子はテニス部やバドミントン部に多く流れている感じです。もちろん学校にもよるのでしょうけれども。

筋トレなど

息子も筋トレがスタートしたようです。学校の外周約700メートルを2-3周のあと腕立て、腹筋、背筋など数セット。そして2キロほどのトレーニングボールを使った筋トレなどですでに筋肉痛な日々だとか。

私のバスケ部の顧問は結構本格的&ザ昭和な先生だったので、まあとにかく筋トレがキツかった。練習前にプロテインをコップ一杯飲まされて(超マズいけどそのうち慣れる笑)ベンチプレス、バーベル、鉄アレイなどを数セットやってから練習。これもまた走る跳ぶと忙しい。ついでに人数がそんなに多くないから順番もすぐまわって来る。練習は男子女子合同だったから、男子と走ったりパス練、攻守ってのは結構ハードです。

そうそう。息子がトレーニングボールで指を使わず手のひらだけでパスするみたいな練習をして「あれ何なの」とヒーヒー言っていたけれど、私もバスケ用のトレーニングボールを使った練習ありました。

多分3キロちょっとあったのかな?これでパス錬したあと通常球でパスすると、羽毛のように軽く感じて楽しかった!それを聞いた息子は「おお、ちゃんと効果あるんだ!がんばろう」と燃えていた(笑)

水分補給

これが一番大きな違いじゃないでしょうか。

先日の保護者会で「これから夏にかけて水分補給のために、部活には最低でも2リットル以上の水筒を持たせてあげてください!」と案内がありました。練習中もこまめに水分を補給して、熱中症予防に塩分タブレットなどは支給してくれるそう。

私の時代は練習中に水分補給禁止(禁止って言ってたかは不明ですが)でした。禁止というか、練習中に水分を摂ると身体がだるくなるだか走れなくなるだか…今思うと信じがたいですがね!もちろんガブガブ飲めば体調が崩れそうなのはわかるけれど、だからこそこまめに一口ずつでも飲むべきだと思う。

ただし長時間練習の場合には休憩があるので、そこで水道水を飲むことは出来ました。真夏のぬるい水道水が極上の味だったのは部活ならではの思い出かも…笑

その後の高校では練習中に一口飲むための給水タンクが常備されていて、マネージャーが常に麦茶を用意してくれていたので水分補給は出来ていました。

当時とは気候も大きく変わっているし、時代の変化もありますからね。ともあれ、息子は水分補給が出来る環境で良かった!

ケガはつきもの

運動系の部活動である程度のけがはつきものですね。練習中はもちろん試合中も、捻挫や突き指はよくありました。ファウルで突き飛ばされて壁に激突したり、足の親指から中指の爪はよく剥がれましたね!浮いてきては剥がれる、を何度か繰り返していたなあ。

捻挫で足首がメロンパンみたいに腫れたり、倒れて手をついた腕の外側から押されて肘がねじれたり(今もまっすぐにならない)、試合中に後頭部で「バチン」と音がしてじわーっとした感覚が広がったり…この時は病院で検査させられました。結局なんだかわからなかったけれど。

息子もこれからケガが増えるのかしら?自分はたくさん怪我したけれど、どうか息子は大きなケガなく毎日無事に元気に活動してきてくれますように!

合宿の思い出

部活は楽しかったけれど、合宿は監獄へ行くような気分でした(笑)

毎年夏休みに、中学では新潟県の湯沢町などへ、高校では長野県の飯田市へ二泊三日、三泊四日の合宿へ行きました。高校では楽しみの方が大きかったけれど、中学の時は早く帰って来れるようにということだけを願い、楽しみ2割苦痛8割って感じでしたね!笑

中学の合宿は宿舎からマイクロバスに乗って山の上にある体育館まで送られていました。本当に監獄送り気分。お迎えが来るまで帰れない。そういえば一緒にいたテニス部の子たちは、合宿中日を追うごとにみんな真っ黒に日焼けしていたなあ。屋外スポーツ、真夏は大変だ!

高校では宿舎から徒歩10分くらいの大きな体育館で練習。朝練、昼錬、夜錬がありましたが、夜錬の帰りに仲間が道路わきの広めの側溝に落ちでドロドロになった記憶がある…。でも高校は一日だけ近所の川で水遊びしたり、最終日に花火したり、顧問やコーチ、OBなどの大人はビール、生徒はジュースが配られ乾杯したり、今思えば楽しい思い出。

こういった経験をたくさん積んで、充実した部活ライフを楽しんでほしい!

中学の顧問はこんな人

私の中学時代のバスケ部顧問はいつも竹刀を持っていて、素行が悪い子はよくスパーンと叩かれていました(昔はよくあることだった)。私の代の仲間が通学路でふざけていたのか、寄り道をしていたのか、顧問に呼び出された時、頬を平手で思いっきり叩かれたりもしていた。ルールを守らない子には男子女子関係なかったですね。

体育の先生なんだけど、同級生が「超こわい、よく部活まであの先生で耐えられるね」と言っていたなあ。確かに厳しいけど、指導は的確だし、よくよく見てると言動がおもしろくて可愛げもあるんです。

夏休みの部活では時間があるため、練習前に近隣の施設(外周800メートルくらい)を何周か走るんだけれど、学校の前に顧問がデン!と立っていて

「おお~い、やっと戻って来たのか~?も~っ!迷子になっちゃったのかと思ったじゃないのよ~(笑)まだ2周あるんだぞ、帰ってこないと練習始まらないんだから、がんばってこーい」

とホースで噴水みたいにして水浴びさせてくれたのが記憶に残ってるなあ。学校の水道水を豪快にまいていた。厳しいんだけど、言葉がクスッと笑えることが多々あるんだよね。そのあと体育館で練習だけど、着替えとかあったのかしら?どっちみち絞れるくらい汗かくから関係ないか(笑)

この先生のおかげで、7人しかいない私の代ですが新人戦から毎回区の大会で優勝出来ました。都大会でベスト8(参加720校いたんですよ)に入れたのはとても大きな経験だったと思う。

顧問の異動で問題勃発

そんな顧問の先生。指導力があって部員からも信頼は絶大でしたが、私が3年生の時に同じ区内の中学校へ異動となったのです。ライバル校への異動、もちろんそこでもバスケ部の顧問。仕方ないこととは言え、引退を控えた3年生の私たちは色々部内でもめ事が起きました。

新しく顧問になった先生は、バスケをそんなに知らないらしく、でも前顧問から託されたことで相当プレッシャーもあったと思います。そんな先生に反発して練習をボイコットする仲間が5名。残された私ともう一人では引退試合も出来ません。まあ、なるようになる。1-2年生合わせれば試合には出られるし。でもあの厳しい練習を2年間乗り越えてきて、最後にこれでみんなは悔いが残らないのかな?なんて思いつつ練習に出ていると、大会直前に「やっぱりみんなで引退したい」と気持ちを入れ替え、新顧問の先生に謝罪をして戻って来た仲間たち。

その直後にあった最後の区大会では決勝で敗れ準優勝となったけれど都大会へは進出。その日、会場には前顧問も来ていました。新顧問からずっと相談を受けていたのでしょう。他校の先生になった手前、大っぴらには応援はしてくれませんが、ずっと練習から試合を見守ってくれて、プレーの合間にうなずいたりもどかしそうにしたり、とても印象に残っています。

準優勝ではあったものの、都大会進出が決まったことを、新顧問と一緒に自分のことのように喜んでくれた時の顔を見て涙が出るほどうれしかったですね。

余談ですが…その後の都大会でベスト16で敗れ引退をしましたが、ボイコットした5名の方が、敗れた悔しさと3年間やり切った感動と、新顧問の献身に涙を流していました。いやー、青春ですね!終わりが清々しくて私もうれしかった。

すべての顧問の先生に感謝

そんな経験もあり、部活の顧問は好きでなきゃ出来ないだろうし、もしやる人がいなくて押し付けられたりするのならば気の毒だな、って思っていました。だって土日に練習試合や大会があったりすると、先生いつ休むのよ?って感じ。遠征や合宿もあるし、本当ボランティアじゃ出来ないもん。

しかし、今回息子の中学で部活保護者会があり、校長先生からの話しを聞いて新鮮な驚きが。

近年は中学校の部活動も、先生が顧問をするのではなく、完全に外部から指導員を招いて部活を担当してもらう市区町村が増えてきているとのこと。これは以前から話しを聞いていました。

しかし、先生の中には「部活の顧問をやりたい!」と熱望して、なんなら「顧問をやりたいから教師になった」という先生も少なからずいるとのこと。そんな先生が「部活は外部指導員に任せる」という学校に配属された場合、異動の希望を出す先生もいるのだとか。

息子のテニス部は外部指導員2名と顧問2名がいます。この顧問の先生も「中学校でテニスの顧問として生徒にテニスを教えたい!」という希望を持っていたと熱く語ってくれました。

そんな先生のもとで、厳しく、でも楽しく元気にテニスを学べること、親としてありがたく頼もしい限りです。この先生の想いは、私が言うまでもなくすでに新入部員の息子たちは聞いていて「先生とにかく元気で熱い!練習はキツイのもあるけどがんばるんだー!」と張り切っていました。

三年間思いっきりテニスを満喫してきてねー!

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