保育園の頃、メロディや歌詞に敏感になり「ふるさと」の意味を知って号泣していた息子。
あの頃は、周りにあふれる感傷的なメロディや言葉が心の琴線に触れるたび、一瞬にして大粒の涙をポロポロ流して本当に切なそうに、苦しそうに私に抱きついて泣いていました。見ているこちらももらい泣きしそうなほどに。
そして「ふるさと」は小学校の音楽の授業でいつか歌う機会があるだろうと思い、その時にどういった反応を示すのか?心配少々、興味深さが大半で過ごしていました。
そして先日、ついに息子が「今日音楽でね、ついにあれ歌ったよ!ふるさと!!」と報告してきました。半分忘れかけていたのですが、卒業目前にしてついに来たか!
息子に感想を聞いてみると、
うーさーぎーおーいし、かのやまー!ってやつでしょ?泣かなかった!
元気に教えてくれました。でもね、もしかしたら、心の奥底では多少動揺もあるのかな?ってチラッと思えたけれど、それでもこうして報告してくれる息子の純粋さはいろんな意味で本当にうれしい!
「子どもの頃に、うさぎを追った山~、フナを釣った川~、なつかしく素敵な生まれ故郷」って感じの内容だよ。と一応言ってみると、少し遠い目をした後、うんうん、と頷いていた。
「(息子)の故郷は今ここであって、山も川もなく、うさぎ追ったりフナ釣ったりはしていないけれど、電車を撮影したり商店街で買い食いしたり友達と遊びまわる、これも立派で素敵なふるさとだよ」
というと「いいよね、ふるさとって」とニッコリしていた。
あの号泣していた頃から6年以上の時が過ぎていて、心の根底にある敏感で繊細な部分はきっと変わらずにいると思うけれど、すぐに涙に直結するのではなく、心にいくつかのクッションを持てるようになってきた感じ。
経験と情報量が増えると、気持ちをコントロールをする方法を身につけたり、耐性が増えてくる。
これが良い意味で自分を守る手段として作用してくれたらよいな。もちろん、悪い意味というのは「あきらめ、気持ちを抑え込む、放棄する」といったこと。それはこの先の人生の大きな足枷になる。
長い長い時間をかけて向き合って乗り越えていく、そんな心の成長の過程をこれからもずっと見ていきたいなって思います!
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