音に敏感というのは以前からありました。生活音の中に混じる、聞きなれない異音を敏感に察知して、それがどこから来るものなのかを確かめないと不安で仕方がない。でも、歌に対して特別に感情移入したりするような様子は、まだあまり見た記憶がありませんでした、あの日までは。
「ふるさと」を理解したあの日
いつものように身近な電車旅をした5歳の冬の日の帰り道。西日がまぶしい駅のホームはオレンジ色に染まり、人気もなく旅愁感たっぷり。
「なんか懐かしい感じのホームだね!」なんて元気いっぱいに言う息子。私がふと「ふるさと」を口ずさんで歩いていたら、前を歩く息子が足を止めて「ふるさとって何?」と聞いてきました。
「そうだねー、いつか大きくなって違う所に引っ越したりして、生まれ育った所や思い出を懐かしく思う時が来るよ。それがふるさとだよ」と言ってまた口ずさむ私。
神妙な顔で聞いてからまた前を向いて歩く息子。オレンジ色の夕陽があたるホームを歩く足を止めて振り返ると「う、う、うわーーーん!」と顔をくしゃくしゃにして泣きながら抱きついてきました。
『しまった!!!』と一瞬頭をよぎりましたがもう遅いですね(苦笑)
その後は大好きな電車のピンバッジを見つけて気分が少し紛れたものの、次の電車では人が結構乗っていてにぎやかであっても、窓から西日がまだわずかに入って頬を照らすと「また少し悲しくなってきちゃった・・・」とむせび泣き。
帰り道に何度か繰り返し、その日の夜寝る前にも「まだ少し悲しいの」と笑顔でいうとすぐに顔をゆがませてむせび泣きをする息子。
「ふるさとって歌は前から知ってたの」「CDに入ってるし、CDは大丈夫なの」「でもママが歌うと・・・」とまで言ってまた号泣。本当に繊細な心の持ち主なんだな。
「大人になってから、子供のころに遊んだ場所や家やお友達を思い出して、懐かしさに涙が出ることはあるかも知れない。でも5歳でこんなにこの歌を聴いて堪えきれずに泣くなんて正直びっくりしたよ」「とても大切な感性だと思う、涙が出るのは素敵なことだよ」と伝えると、まだ涙が頬で乾かないうちに、安心したのかすやすや眠りにつきました。
その後はメロディ、歌詞に敏感になる
「ふるさと」には完全に感情を揺さぶられるようになった息子。その後も「ふるさと」という単語、または歌詞を言葉にする、もちろんメロディを耳にしても飛んできて抱きつき涙を流しています。
他に涙を流して逃げてくるのは「大きな古時計」ですね。この歌は歌詞もわかりやすいので、自分で意味を理解して本当に淋しがっています。
昨年、年中だった息子。年長さんの卒園式に出席して、年長さんが歌う歌にも一人涙していたもよう。ほかにも保育園の発表会での挿入歌で感動的な歌があり、登園時にみんなが覚えられるようにとCDがかかっていると、顔を曇らせて抱きついてきたり、練習でも口を真一文字に結んで歌わなかったり。本番では先生がこっそり手を握ってくれていたので何とか泣かずに頑張っていました。
巡回訪問専門職員の方からの提案
この頃はすでに発達に関する巡回訪問の専門職員の方に見てもらっていたので、保育園からこの件についても話をしてくれました。
すると、まず試してほしいこととして
- 「ふるさと」のメロディに全く違う歌詞をつける
- 明るいメロディの曲で「ふるさと」の歌詞を歌う
という替え歌作戦の提案がありました。歌詞で淋しいのか、音程で淋しいのかを見たかったようです。さっそく試してみると、
- 歌詞が違ってもふるさとのメロディで泣く
- チューリップの音程でもふるさとの歌詞が出たとたんに泣く
予想通りの結果でした。もうすでに歌詞でもメロディでも「ふるさと」を思い起こしてしまうのですからね。そこでもう一つ自分なりに試してみました。それが、
- 「大きな古時計」の歌の英語バージョン(しかもかなりノリノリ)を聴かせる
すると息子は「なんかこの大きな古時計は淋しくならないよ!」と笑顔。当然歌詞は日本語で思い起こすでしょうし、メロディだって浮かぶはず。
でも目の前に流れているのは元気な「大きな古時計」。試しにノリノリのまま日本語を乗せて歌ってみると、若干引いたものの笑顔のままでした。
ここで解ったことは、
- 歌詞にもメロディにも心を揺さぶられる
- どちらかというとまずは音に対する感情移入のほうが強い
ということでしょうかね?
実際はメロディや歌詞だけでなく、五感すべてでいろいろなことを感じ取って心を揺さぶられたりしているのだと思います。その感性を大切にして、この先も見守って行きたいです。
コメント