基本、平和主義の息子。
人を傷つける言動、自分勝手な行動、とても苦手みたいです。
他人の悪意ある言動には「悔しさ、嫌悪感」を吐き出しますが、悪意はない無意識の言動には「悶々としたやりきれなさ」を吐露しています(笑)9歳児、日々感情が忙しい。
自分への攻撃(ふざけてちょっかい出されたりイラっとする口調)ならわかりやすいんだけれど、自分以外の人に向けられた攻撃にも、同じように心を痛める息子。
以前はそんな場面を見るたびに感情がグラグラして、急につらくなって泣き出したりしていたけれど、最近は心を痛めるよりも「嫌悪感」が強く出てくるようになってきた。
誰かが悲しんでいる→自分も悲しくなる→泣く
こんな流れだったのが、
誰かが悲しんでいる→自分も悲しくなる→原因を探る→悪意があれば嫌悪!(時には泣く)
って変化している。「他人を」というよりも自分の心を守るためにストレス耐性が付いてきたのかな。
いじめがあったらどうする?
現在、小3息子の周りで明らかな「いじめ」の話しは出ていません。でも、あくまでも息子目線、そしてそれを聞いた親目線に過ぎない。現実は見えないものもたくさんあると思う。
いつの時代にも、どの世代にも、残念ながら大なり小なりいじめはある。蹴った、殴った、はもちろん、心が受けた傷は想像以上に深いもの。
もし「いじめ」を察知したらどうすればいいか?
たまに息子と話しています。
自分に向けられた「いじめ」なら、まずは親に話すこと。でも、親に話せない時がこれから多々出てくるかもしれない。心配かけたくない、はずかしい、反抗期、色々ね。
でも「一人で抱えこむこと=いじめに負けること」と同じだと認識してもらう。「自分で解決するんだ」なんて考えないこと。そんなことは「最強の頭脳、体力、守るべきもの」すべてを手にしてからもう一度じっくり考えてみればいいよと。
そして、話す相手がみんな味方とも限らない。「人」は案外あっさりと裏切ることもあるしね。だけど、やはり自分を助けてくれるのも「人」なんだよと。むずかしいよなあ、人間関係って。
そして、友達が誰かにいじめられていたらどうする?って話し。
これも自分同様まずは出来れば親に話すこと。もちろん先生だっていいし。「あいつ大人にチクりがやった!卑怯もの!」と騒ぐヤツは、自分の悪事を認識している卑怯者ってこと。
でも、これまたむずかしいよな。実は何もできないってこと多いんですよね。きっと誰だって心身ともに痛いのコワいのイヤですもん。
暴力に向かって、自分の身体張って阻止することはそうそう出来るものじゃない。今くらいならまだいいですよ、ちょっと背中を叩かれたり、おしりを蹴っ飛ばされるくらいなら。でもやはりやめてほしいのが本音。
「外に助けを求めること」「危険から逃げること」
これ、とても重要です。いじめだけじゃない、どんな場面でも絶対に忘れないでほしい。
「逃げることも強さのひとつ」という言葉に、息子は深く頷いていました。
そしてもうひとつ。友達がいじめられていることに気付いたならば、その場で助けられなくても、いじめる側には絶対に回らないこと。自分が助けられなくても、誰かにすぐ助けを求めること。見てみぬふりはしないこと。
息子、
蹴られたりしたら痛いのイヤだけど、自分がいじめることは絶対にしないよ。誰かを呼ぶならできるかもしれない。
ドキドキしながらも、9歳なりに場面を想像して一生懸命考えていました。そして
でも、イヤなことするやつ、本当にクズだね!この世にいなくていいのに!!
だんだん顔が怖くなってきた。想像力が豊かですな(笑)
こんな感じで、対人関係について、良い話も悪い話も雑談として日々盛り込んでいます。いざって時が来ないことを願うけど、もしそんな日が来たら、スッと頭の引き出しから引っ張り出してほしいなって思っています。
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