「子供は褒めて伸ばせ!」ってよく聞きます。しかし「はい、じゃあ今日からはたくさん褒めましょう!」とはいかないのが現実。
昔むかし、まだ私が二十歳そこそこの頃だったかな。街中でわが子をべた褒めする母親(だけじゃないけど)を何度か目にして、ゾワゾワと寒気がした記憶があります(苦笑)
それは例えば、スーパーの売り物のイチゴやバナナを思い切り鷲づかみにしてヨチヨチ得意気に親の元へ歩く子に向かって「わあスゴイ!じょうずに取れたね~!ここまで歩けるかな~??」と両手を広げて受け止め、その商品には小さな手で落とさないように必死でつかんだ跡があろうとも、確認もせず普通に棚に戻す親。
人通りが多く自転車も車も結構通るような道で、まだ足取りのおぼつかない子が千鳥足状態で親の元へ一生懸命歩くその先で「〇〇ちゃん、あんよ上手~!がんばれ!がんばれ!もうちょっとだよ~!」と親子だけの世界に入り込んで、周りの渋滞に目もくれない親。
他には、何か良いことをしたであろう子供を「すごいなあ、やっぱり〇〇はやれば出来るって思っていたけど、本当にすごい!お母さんうれしいなあ、〇〇カッコいい!!…」このべた褒めをひたすらリピート。子供の熱量がすでに冷めていても止まらない褒めの嵐。
いいんですよ、いいんです。子供にしっかり向き合い、子供を愛して止まないお母さん、本当はとても素晴らしいと思います。すぐ子供と言い争いのバトルを繰り広げる私からすれば女神のようです。
でも、実際はやっぱり引っ掛かる(笑)
イチゴやバナナ、つぶれてるよ?戻さず買おうよ、お母さん。道路渋滞してきてるよ?安全第一、子供のためにもみんなのためにも、子供の手を引いて早く安全な場所へ行こうよ、お父さん、お母さん!!
もちろん、周囲に迷惑をかけないべた褒めは全くもって問題なく、むしろ子供がうらやましいくらい。あくまでも引っ掛かるのは周りが見えていない大人。
べた褒めする事と、周りに迷惑かける事はまるで関連してないのはわかっています。だけど、べた褒め=この光景が浮かんでしまい(笑み)
そんなくすぶりが今でも何だか心に残り、べた褒めに気後れが…(苦笑)
「褒めて伸ばす」その褒めはこんなべた褒めではないことも十分承知してはいます。
でもね、やっぱり子供は褒められることが大なり小なり好きなんです。その褒められた記憶が次への原動力になる。だからこそ、べた褒めではない、上質な褒め言葉を自然にかけてあげられるような大人でありたいと思います。
もう高学年だし、とか、中学生、高校生だし、という心配は無用。大の大人だって、いくつになっても自分を肯定されることは悪いものではないし、気持ちが向上する伸びしろはまだまだあるものです。
結果ではなく、そこへたどり着くまでの努力をしっかり見て褒める。例えその結果が思うようなものでなくても、それまでがんばって来た姿にスポットライトを当てて認めて褒める。
これが、褒めることの基本なのですよね。簡単なような難しいような。
そして今、それが中々出来ない理由は…。
結果はどうであれ、その途中経過のがんばりをすっ飛ばしているのが見えるからでしょうかね(苦笑)練習、努力をせずぶっつけ本番でうまく行かなくて、失敗して騒いだり、結果に向かう過程でイヤイヤやっつけ感満載でこなし、思うような結果が出ずにギャーギャー騒いだり。
「練習も努力もしないのに出来なくて当然だ!!」
なんて思う訳です。褒めるべきところが探し出せない…。
でもちょっと待った!!
本当にそうなんだろうか?褒めるところなんて何もないのかしら。
確かにめんどくさくて適当に流したり、イヤイヤやってる感が半端なくて、これでも褒めるなんて親として甘すぎないか?なんて悶々とする現実。
でも認めればいいと思います。親の思い描いた結果とは程遠くても、それに向かいイヤでも面倒でも何かをして来たその一連の工程は確かに存在しているわけだし。「出来なかった」という否定形ではなく「ここまで出来た!」と認めて肯定してあげる。
子供だって本当はどんな結果がより優れているのか知っています。それにたどり着けない悔しさも、本当は親が思うより知っていると思います。
そこを考えてみると、一般的な結果を基準にしてその子の努力の力量を評価してはいけないと思う。子供の将来を考えると、ひたすら結果に向かい勝ち抜く力が大切と言われるかもしれないけれど、みんながみんなそうでなくても良いし、みんなが一緒では何の面白みもない。
どんなときにも選択肢はあること。実際、今この瞬間でも自分の行動に選択は付きまといます。その選択次第で、今日一日の流れが変わっていくということ。そして子供が何かを選択して歩を進めようとしているならば、その一歩を大切に思い見守ることの出来る親であること。
もしそれがあからさまに間違った道であるならば、軌道修正も必要です。それには普段から子供に選択肢を与え、親はしっかり見守ってくれているという関係を築くこと。
こんなの理想形で実際はそんなキレイに物事進むわけないですがね(笑)でも、子供がイヤイヤでも宿題を広げて、文句言いつつ終わらせたのならば「めんどくさくても、ちゃんと自分で宿題終わらせたね!やったじゃん!これで今日は自由だ!」レベルの褒めならば5秒で出来る。
それすら拒む心があるのなら、それは子供云々ではなく、自分自身に何か理由があるはず。一度自分自身の心をリフレッシュさせる方法を模索するべきかも知れません。私もたまにあります、たまに…頻繁に??苦笑
子供を褒められないのは、自分自身にも何か理由がある。そして、親である自分が求めるものと子供の姿にギャップがあるから。それならば「こうあるべき」という理想形は一度保留にして、目の前にいる等身大の子供を見てみること。
「もっと頑張らないとこうなれないよ」と未来の姿ばかり押し付けるのではなく、「3歳ではこれが出来た、でも今はもっとこんなことが出来るようになったよ。成長しているんだね!」と、過去と比べて現在の成長をしっかり褒めてあげること。
褒めるべき、称えるべき事柄は、日々山のように溢れているんですよね。ついでに子供への感謝の気持ちも、本当はたくさん沢山あるはず。それに気付いて自然に発信出来るようになりたいと思います。
以上、「褒めること」がうまく出来ないその理由は、というお話しでした。
コメント