いじめや駆け引き、派閥争いの思い出と価値観のお話し

前回「ギャングエイジ」の記事を書きながら自分自身の小中学校時代を思いおこすと「やっぱり駆け引きや派閥争いみたいなものあったなあ!」なんて思い出したので、ここでちょっと昔話を。

どっちの味方?

小学校5-6年の頃、隣のクラスの中心的な女子が話しかけてきました。

「ねえ、〇〇さん(私)は私と△△(女子の仲間)のどちらの味方につく?」

当時はどんな言葉で考えたか定かではありませんが、今の私の言葉で説明するならば

『なんだ?私普段この子たちと全然接点ないし。味方って何?何で私に話しかけて来たんだろう?』って思ったわけですよ。『うわ、もしかして女子の内輪もめか、めんどくさそう…』ともね(苦笑)

「ねえ、やっぱり△△をとる?」「別にとらないけど」「そうかー、良かった!ごめんね、またねー!」と笑顔で立ち去る女子。

後ろ姿を見送りながら「どっちもとらないって意味だけどな…」と考えつつ、嘘はついてないけど私って卑怯な言い方したかもしれないなあ…としばらくの間申し訳ない気持ちでした。

その後、なんだか女子同士対立していたような気もしたけれど、元々接点ないし、クラスも違うしね。それ以降のやりとりは何の記憶にもありません。

もう無視するのやめてあげる

今度は中学校での部活仲間で内輪もめがありました。7人中、私ともう1人だけが意見が合わず2:5の構図。当然休み時間や帰りに一緒にいた5人はこちらを避けて近寄りません。

正直面倒だし、仲良かったのにこうなったのは残念だし、たまに不便もあったけれど、でもまあいいや、他にもタイプの違う友達いるし、と大して気にも留めず。

無視しても響かない私(もう1人も)に業を煮やしたのか、1-2週間ほどしてついに屋上に呼び出されました。そこで相手がかけてきた言葉は「もう無視するのやめてあげるから元に戻ろう」でした。

『いやー別に無理に戻らなくてもいいんだけど…』と思いつつ『無視するほうも疲れるんだろうな』と思い、無駄な争いは早々に終結。

部活の先輩からのいじめ

中学の部活で1年上の先輩から、何かと目をつけられていた私達の代。

あいさつを無視されるのは基本ですよね!私も一応無視される対象だったのだけれど、校内であいさつをすると、表面上無視しつつも声に反応してちょっとお辞儀してくれたりしているのを見て『やだ、かわいいかも』なんて思ったりしていました。

とは言え、仲間たちはものを隠されたり、靴箱の靴の中にマーガリン塗られたり、画鋲の日もあったり。私はなぜか一度も被害にあわなかったけれど、これはいじめですよね。今、親になった私から見れば到底許しがたいわ。

でも結局部活では私たちの代が実績を上げだしたので、いじめは徐々にフェイドアウトしていきましたが。

社会人になっても

場所は変わって社会に出ても、グループの対立は同じようにありますね。残念なことに、いい大人になっても、常に他人を傷つけるような言動ばかり取る人っています。通りすがりの二度と会うこともなさそうな人でも、その一瞬の言動で「ああ、この人残念なタイプだな」って思う人もいるし…。

そして、そういった心無い言動に傷つき心を痛めて体調を崩す人がいる。一生懸命がんばって我慢もして、背負わなくてもいいようなものにまで気を遣って心をすり減らして生きている。

大人も子供もそう。真面目な人ほど、負の渦中で悩みもがき苦しんでしまう。

本当にさ、他人に向けられた言動の凶器は、即ブーメランとなって元に返ればどんなに心が軽くなるかって思ったりもしますよ。

親として出来ること、思うこと

小学3年生にもなると、親の見えないところでの問題が増えていくことは容易に予想できます。息子はどんな友達と時間を共有して、どんな価値観を見出していくのかな。

息子だけでなくどの子供達も、時には悩み迷いながらも、それぞれの価値観を大切にして一歩ずつ成長してほしいなと願っています。

もし、万が一、周りとうまく行かずに学校がつらい場所となってしまう子がいたならば、その時はぜひ、学校を休んで平日の昼間に手をつなぎ、学校の外に広がる世の中を思う存分見せてあげたい。

社会に出れば良いことばかりじゃないし、こわくて、汚くて、つらいことも実際にはたくさん。それでも世の中は果てしなく広くて、自分次第では足元に光もたくさんあふれている、はず。

どんな道を選んでいくのかは子供次第。でも、大人の知らない子供の世界、子供の知らない大人の世界、その価値観をシェアして、大人子供お互いに言葉を交わしながら、相手を認め合い支え合い、共に生きて行きたいなと思います。

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