こんなところが「敏感・繊細だな」と思う実例

私が息子の「敏感・繊細」さについて何歳くらいで気付いたのか?また、どんなところが「周りと違うな」と感じているのかの実例を挙げてみたいと思います。

年齢ごとに現れてきた性質

0歳~1歳

生まれたての頃は、初めての子だし違いなどまるでわかりません(笑)唯一、生後4週間目くらいに「赤ちゃん訪問」で保健士さんがみえた時に「生後24日とは思えないほどに大人びている、表情が豊かでよくママの話を聞いているのね!」と言われたのが印象的でした。

その後しばらくすると、いわゆる夜泣きはないけれど、常に抱っこでしか眠らず、夜中も1時間半おきくらいに起きて泣いてを繰り返していました。母親以外すべての人の抱っこに大泣きの時期。しかしこの時期はどの子もみんな同じだろうと、寝不足も何もかも全く気にしていませんでした。

1歳~2歳

ちょうど保育園に入園して、初めて親子分離の時間を過ごすことになると、始めの3週間は涙・涙であっても、その後は案外あっさりと馴染んで笑顔で過ごすようになりました。

反対に、普段が楽しく過ごせているからこそ、保育園のイベントで親子がたくさん教室に集まる日に、いつも慣れ親しんでいる教室に入れずしがみついて大泣きする姿にほんの少しの違和感を感じ始めた頃です。これは別のイベントでも同じ。ただし、泣きながらも、冷静に何が起きているのかをしっかり見ていて、自分なりに納得したらあとは元気に参加しています。これは6歳になった今も基本的に変わらずですね(笑)

2歳~4歳

この頃になると自分の気持ちも言葉に出せるので、人混み、大きな音、光、見慣れないものに対して「いやだ、こわい」と言うようになりました。

言葉遣いも「あっちのお空を見てごらん?暗くなってきたから雨が降るかもしれないね」「ママ、この指のケガはどうした?まだ痛いの?」と、突然大人びた言い方をすることが多々ありました。この時期から、視覚、聴覚以外でも、触覚、味覚、嗅覚すべてが敏感になってきたようです。

5歳~6歳

五感すべてにおいて敏感さが確立されてきたように感じます。周りの子と自分を比べて、その違いを自分でも感じ取っているようです。嫌なものは嫌!怖いものは怖い!周りの勢いに決して流されず、拒否をする時の芯の強さは毎回ブレておらず、ある意味潔いです。

それでも、色々な歯痒さ、もどかしさから反抗期全開(相当な態度と口の悪さです)ではあるものの、場合によって本来の優しい性格が勝ると、自分の取った行動で相手に嫌な思いをさせたと気付き涙を流しています(笑)

6歳になると、周りの友達の個性もそれぞれで得手不得手も十人十色。息子の「敏感・繊細さ」は顕著になっていますが、先生、友達も理解を示してくれていて、自分でも案外うまく乗り越えています。反抗期ではあるけれど、基本的には穏やかでひょうきんで笑顔がいっぱい、友達と色々なことに盛り上がって元気な日常を送っています。

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日常の中で感じる「敏感・繊細さ」

では、息子の日常を見ていて「敏感・繊細さ」が顕著に現れているな、と感じる実例を挙げてみたいと思います。

痛みに敏感、でも逃げない

痛みに敏感なのは子どもなら良くあることですが、本当に敏感です。予防接種も数日前から恐怖で泣き出したり、精神的に参って嘔吐することも。

それでも「内緒にしていて急に行くより、行くなら絶対に先に予定を教えて」と本人の希望があるので前もって教えます。当日も病院に向かう時点で泣き出し、診察室では先生に絶叫しながら超悪態をついてしまいますが、考えてみると一度も病院に向かうこと、入ること、腕を出すことから逃げていません。足のケガで麻酔なしにホチキスをつけた時もそうでした。これからやることの順番を聞いて、絶対にやらなければならないことを理解すれば泣こうが喚こうががんばってくれます。

 

でも、家に帰り、注射をした後のシールを見てまた痛みと恐怖で泣き崩れています(笑)あまりの怖がりようなので理由を聞いてみると「針が刺さっているかもしれない」「針を刺した後が残っているかもしれない!」と。これは「注射をしたことで今までの腕と何かが変わってしまっているかもしれない」という恐怖心だったようです。今でもまだ怖がります。

事故や災害の映像に過剰な恐怖心

電車がほんの少し傾いた写真や、台風で屋根がはがれていたり、元の形が崩れてしまったものに対して、ものすごい恐怖心を持ちます。ただし、新しい家を建てるために古いものを壊す、という建設的な破壊はある程度は大丈夫とのこと。

駅などに貼られる「写真で見る1週間のニュース」のようなものは、事故や災害の写真が載る場合もあるので、私が確認するまでは絶対に近付きません。

「ふるさと」「大きな古時計」に号泣

郷愁漂うもの、何かが壊れてしまう、お別れ、などイメージ出来る歌が流れると、一瞬のうちに涙がポロポロあふれ「いやだーっ!」と逃げてきて抱きつき号泣しています。歌詞にもメロディにも反応します。

手で触りたくない

絵の具、糊など手に直接つけるのをかなり嫌がります。絶対に嫌だ!というレベルは脱出したものの、必要最小限にとどめて、終わったらそそくさと手を洗います。しかし砂遊びは大丈夫。手で触るものか道具を使うものかどうかを、自分の中で区分けしているようです。

ドングリが怖い

ドングリが地面に落ちていると、怖くて足がすくみ歩けなくなります。例え自分の周りに落ちていなくても、落ちているのを見た道は歩きたくないとのこと。

木になっている、飾りとしてあるのは平気で、虫が出るから嫌だ、形状が嫌だ、というのとはまた違い、最近の説明では「誰かが踏んで割れてしまうのが怖い」という感覚らしいです。

隙間を警戒

隙間の見える階段、滑り台のはしごなど、ほんの数段でも怖がって登れないことが多々あります。私が景色の良い場所で柵に寄りかかり写真を撮ろうとすると「危ない!もっとさがってー!」「カメラ落ちちゃうからカバンにしまってー!」と後ろの方から必死に叫んでいます。

音源を探しだす

例えば部屋で遊んでいる時に、いつも聞こえる電車の音、前の道を通る車の音や人の声、様々な音は気にしないけれど、そこに紛れて聞こえた微かな異音を聞き逃さず、その音源を探し出すまでは落ち着かず不安にかられています。

石橋を叩いて渡る、または引き返す

超・慎重派のため、何かチャレンジする時は一歩踏み出すまでに相当な時間を要して(おそらく頭の中で色々な角度からシュミレーションをしているもよう)結局は引き返すことが多いです。このシュミレーション時に話しかけたり、遊具などの場合は誰かが追い抜いたりしていくと、気が散るので中断してしまう。

勢いに任せてやってみる!ということはまずないですね。それでも諦めてはいなくて、長い時間がかかっても「あの時出来なかったことをやってみる」という、静かでも自分なりのチャレンジ精神は持続しています。

ただし、超・慎重派のわりには、曲がり角でしっかり止まって左右を見る!車、自転車、人が飛び出して来るかも!というような慎重性はないんですよね。ここにこそこだわってほしいのだが・・・(苦笑)

相手を見過ぎる、失敗を恐れる

何かを質問されて、正解があるものに対しては答えるのに、自分の想いや感想を聞かれると恥ずかしがって答えないことが多々あります。「相手が望んでいる答えと違うのかな」なんていう心配も少なからずあるもよう。先生に話しかける時も、忙しそうにしていると遠慮してしまうようです。

 

そして完璧主義なのでしょう。大好きな絵を描く時も、まずは頭の中に詳細を思い描くために、自分の絵が上手く描けないことに苛立ちを隠さず、線一本失敗しただけでも「こんな電車なんている訳ない!!」「こんな絵絶対に笑われちゃう!!」と絶叫して泣き叫んだりしています。

 

そのため、保育園の自由画の作品を約一年間何も描かず白紙で通した息子。これについて心配をしてくださった先生と、息子の控えめな主張に小さな差異がある時期もありました。これは別途ご紹介したいと思います。

 

こんな感じですかね。6年経つと子どもにも揺るがない個性がこうも確率されるのですね。親としては、のびのび個性を伸ばしてほしいと願っていますし、この先も心配は尽きませんがとても楽しみです!理想通りに、とは行きませんが、これからも見守っていきたいと思います。

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