息子が保育園時代、メロディや歌詞に心を揺さぶられて号泣することが度々ありました。特に「ふるさと」や「大きな古時計」はワンフレーズもしないうちに涙をポロポロ流して抱きついてきたり、耳をふさいで号泣したり。
一度でも「淋しさ、悲しさ」を感じたものに対しては、もう反射的に涙が出るのでしょうね。
まあ、小学校に入ると音楽の授業で色々と耳にする機会もあるだろうし、家ではあえてそんな気持ちにさせることもないので、話題に出すこともなく今まで過ごしてきました。
※私は子供の頃「グリーングリーン」が苦手だったなあ。あの軽いテンポの中のあの歌詞が悲しかった。
そして先日ランドセルの中から、音楽の授業で観た「サウンドオブミュージック」で流れる何曲かの中から一曲選び、その感想を書く用紙を発見。息子は
「エーデルワイス」なつかしい感じがして悲しくなった
と一言だけ書いてありました。
私も子供のころからエーデルワイスは好きでしたが「晴れ渡った青空に高い山がそびえ白い小さな花が咲いているのどかな光景」を思い浮かべていたので、悲しさを感じたことはなかったです。
でも、息子はそこに「なつかしさ」「悲しさ」を見たのですね。こうした言葉が出てくる過程にはどんな場面が浮かんだんだろう。
私のように歌詞そのままから得た感想ではなく、目で見て耳で聞いたことで、きっとあたりに漂う匂い、ひんやりした空気、冷たさなんかも、もしかしたら感じていたりして。
大自然に囲まれた高山の凛とした世界感に引き込まれ、そこにいる自分を思い、今生きている賑やかな生活とのギャップを目の当たりにして、現実世界がなつかしく感じる、悲しくなる、といった構図なのではないかなって思う。勝手な想像だけれど。
実際はただメロディがもの悲しいだけで、深い意味はないのかもしれない(笑)
でも、とにかく歌を聴いて「なつかしさ」「悲しさ」を書いた息子の心は、保育園の頃の感性と変わっていないんだなって実感しました。あの頃のままだ。なんだかホッとした。
余談ですが。
今朝見ていたコナンで、毛利小五郎が「う~さ~ぎ~お~いし~かのやま~」と「ふるさと」をだみ声でご機嫌に歌っているシーンがありました。
息子はピクッと反応。そして笑顔で「前に泣いちゃった曲、ふるさとだよね」と言っていた。でもさすがにだみ声では悲しくならなかったのか、泣きはしませんでしたが、私が真似して歌うとやっぱり笑顔のままでも動揺していました。
やっぱり「今が元気」でも、以前に感じた「淋しくて悲しい気持ち」の記憶はすぐに蘇るのでしょうね。それでもそこをコントロールする術というか、ほんの少しワンクッション置く制御が出来るようになってきたのかもしれません。
繊細さは時に自分がつらくなることもあるけれど、とても素敵な感性だって思う。そこには心の優しさも共存している。男子だって泣きたいときは泣いていいし、無理に感情を殺さなくて良いんだって、これからもずっと伝えていこうと思います。
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